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【古代エジプト】エジプト学とナポレオンの関係って!?

 

こんにちは!

 

ご覧いただき、ありがとうございます。

 

このブログでは、エジプトのポジティブな情報をお伝えしています。

 

 今回は、古代エジプトシリーズです。 

 

第3回目のタイトルは、「エジプト学とナポレオンの関係」についてです。

 

実は、エジプト文明は、1798年(18世紀終わり〜19世紀初め)、フランスのナポレオンがエジプトに遠征をしたことから、学問としてスタートしたといいます。

 

当時、ナポレオンは、フランスの司令官でした。

 

ナポレオン(画像: Wikimediaより)

 

それと同時期、帝国として領土を拡大していた国って、みなさん覚えていますか?

 

そう、イギリスですね。

 

当時、イギリスはインドを統治していました。

 

フランスは、イギリスとインドの交易路を遮断するため、大軍を率いてエジプト遠征を敢行したといいます。

 

まず、ナポレオンは、圧倒的な力で、カイロを制圧しました。

 

そして、ピラミッドまで行き、そこで兵士たちに向かい、有名なあの言葉を発したといいます。

 

ギザのピラミッド

 

(画像: Wikimediaより)

 

「兵士たち、あのピラミッドの頂から4千年の歴史が諸君を見下ろしている」と。

 

フランス遠征は、他の遠征とは異なるところがあったといいます。

 

それは、4万人の兵士と共に、167人の様々な分野の学者を同行したことだそう。

 

それは、歴史・文化財・地理などの学者でした。

 

彼らは、この遠征を利用して、エジプトからヌビアまでを調査し、古代建造物から現地の風習に至るまで、あらゆる資料の記録を収集したのだそう。

 

最終的には、イギリス軍に敗北したフランス軍ですが、エジプト調査で収集したすべての記録を本国に持ち帰ったといいます。

 

そして、その一部は「エジプト誌(Description Egypt)」として刊行されたのです。

 

エジプト誌(画像:Wikimediaより)

  

学問としてのエジプト学は、ここに始まり、また、この出版が契機となって、ヨーロッパにエジプトブームが巻き起こることとなったそうです。

 

ナポレオンのエジプト遠征で、もう一つの収穫とされたのは、デルタ西部の町、「アル・ラシード(英語名ロゼッタ)」で発見された「ロゼッタ・ストーン」です。

 

ロゼッタストーン(画像: Wikimediaより)

 

この石碑を主な資料として、1822年にシャンポリオンがヒエログリフの解読に最終的に成功したといいます。

 

ということで、今回は「エジプト学とナポレオンの関係」についてでした!