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このブログでは、エジプトのポジティブな情報をお伝えしています。
ピラミッドとスフィンクス
今回は、古代エジプトシリーズです。
ピラミッドやツタンカーメン、ミイラや神殿など数々の世界遺産で有名な古代エジプト文明。
ハイライトは、王朝時代ですが、その起源となったのは、紀元前7050年まで遡る新石器時代でした。
前回の記事では、アブ・シンベル神殿から100キロ程離れたサハラ砂漠に存在したナブタ・プラヤ文化を紹介しました。
今回から、先王朝時代に入ります。
今回は、先王朝時代の上エジプト文化のお話です。
先王朝時代とは、全エジプトが統一される以前の古代エジプトの時代区分だそう。
今回のお話では、上エジプト・下エジプトという言葉が出てきますので、先に説明しますね。
全エジプトが統一される前、エジプトはいくつかの都市国家にわかれていたといいます。
そこで、現在のカイロ南部からアスワンまでの地帯を上エジプト、現在のカイロ南部からアレクサンドリアまでの地帯を下エジプトと呼んだそうです。
その理由は、ナイル川にありました。
アスワンを流れるナイル川
ナイル川は、南のアスワンから北のアレクサンドリアへ向かって流れていくので
上流を上エジプト、下流を下エジプトとしたのです。
先王朝時代のナイル川流域では、南と北で、異なる文化を持っていたといいます。
その違いは、特に墓にみられたようで、上エジプトの方が手厚く葬られていたようです。
さて、上エジプトにはどんな文化があったかというと。
①ターリフ文化
②バダリ文化
③ナカダ文化
という、3つの文化があったようです。
今回は、①ターリフ文化と、②バダリ文化の紹介をします。
ターリフ文化は、なんと紀元前4500年まで遡るそうです。
ターリフ文化の特徴は、上エジプトで初めて土器を導入した文化だということです。
そんなターリフ文化が栄えた場所は、こちら。
現在のアシュートとスハーグの中間あたり。
(画像は、こちらより)
ちなみに、この文化の居住跡からは、炉と土器、石器しか発見されておらず、人々は、移動しながら生活を送っていたと考えられているようです。
ターリフ文化のものとして発見された土器はこちら。
(バダリ文化のものという学者もいるようですが)
(画像は、こちらより)
次に、バダリ文化です。
紀元前4500年〜4000年頃、ターリフ文化に近いところで発見されました。
バダリ文化の特徴は、死者を手厚く埋葬したことだといいます。
人々は、砂漠の縁辺部に集団墓地を形成したそうです。
そして、死者と一緒に多量の副葬品を添えていたようです。
その一部が、こちら。
(画像は、こちらより)
こういった習慣を初めて導入したのが、バダリ文化に属する人々だったようです。
また、彼らの文化からは、小麦や大麦、亜麻の栽培が確認されているんだとか。
さらに、家畜として、ウシやヒツジ、ヤギを飼っていたようです。
ワニ、カバ、カメなどの野生動物の狩猟も行っていたんだとか。
ナカダ文化は、長くなりますので、また次回に紹介します。
ということで、今回は上エジプトのターリフ&バダリ文化についてでした!