こんにちは!
ご覧いただき、ありがとうございます。
このブログでは、エジプトのポジティブな情報をお伝えしています。
今回は、古代エジプトシリーズ。
ピラミッドやスフィンクス、ツタンカーメンにミイラや神殿など、数々の世界遺産で有名な古代エジプト文明。
ハイライトは、王朝時代ですが、その起源は、紀元前7050年前まで遡る新石器時代だといいます。
(古代エジプト文明の起源については、以前の記事で紹介しています)
さて、前回の記事から、先王朝時代の上エジプト文化に入っていますが
今回は、上エジプト文化のナカダ文化についてのお話です。
ちなみに、今回のお話は、前回のターリフ&バダリ文化と繋がっていますので、まだ前回記事を見ていない方は、先にそちらをご覧いただくとわかりやすいかもしれません。
では、今回は、引き続き古代エジプト先王朝時代の上エジプトの文化ですが、ちょっと皆さんに、質問です!
上エジプトって、どこからどこの範囲をいうのか、覚えていますか?
そうです!ナイル川の上流が上エジプトでしたね。
アスワンからカイロ南部までです。
そして、下エジプトは、カイロからアレクサンドリアまででしたね。
それでは、ナカダ文化ですが、上エジプトのどこに位置していたかというと。
(画像はこちらより)
ナカダ文化は、テーベ(現在のルクソール)県とキナ県の間で栄た文化だそう。
アラビア語では、ナカーダというそうで
元々は、コプト語の「ニーカーディ」が変化してナカダになったそうです。
なんと、ナカダという地名は、現在でも残っているんだとか。
そして、その時代から現在までずっと、同じ地に人々が暮らし続けているということです。
ナカダ文化と同じ地に今もなお暮らす人々(画像はこちらより)
彼らの習慣や文化は、古代から引き継いできたものだそうです。
話を戻すと、ナカダ文化は、紀元前4000年〜3200年頃まで遡るんだとか。
ナカダ文化をメインとして研究した考古学者 Flinders Peteri氏は、1892年、ナカダ文化で3000基もの墓を発見し、出てきた土器を研究していたそうです。
(画像はこちらより)
彼が発見した、土器に編年を付けるためのシステムは、現在でもほとんどの学者が採用しているんだとか。
ナカダ文化は、3つの場所にわけられるそう。
ナカダ文化Ⅰ
ナカダ文化Ⅱ
ナカダ文化Ⅲです。
それでは、順番に見ていきましょう。
まず、ナカダ文化Ⅰです。
ナカダ文化Ⅰは、エルアムラという場所で栄えたそうです。
バダリ文化を継承した文化であるといわれています。
場所は、テーベ(現在のルクソール)とスハーグという県の間。
多くの学者の視点では、このナカダ文化のエルアムラは、バダリ文化と同じ時期にスタートし、バダリ文化が絶滅した後もなお、続いてきたのがナカダ文化Ⅰと考えられているそう。
ナカダⅠの墓地では、いくつかのピンや小さな銅製の道具が見つかっているんだとか。
彼らが住んでいた家は、生レンガと木の枝で作られた、単純な構築の家だったそう。
お墓は、あまり深くはない楕円形の穴だったといいます。
墓には、死者がしゃがんだ状態で埋葬されていたそうです。
ヤギの皮で巻いてから埋葬されたケースもあるんだとか。
(画像はこちらより)
ナカダ文化Ⅰでは、石器産業が盛んだったといいます。
特に、陶器。
ナカダ陶器は、赤い色をしていたのが特徴で、この時期に陶器の燃焼過程の改善がみられるそうです。
ナカダ陶器(画像はこちらより)
ナカダ文化Ⅰは、素晴らしい技術を持っていたようですが
残念ながら、国家のレベルまでは達しなかったということです。
次に、ナカダ文化Ⅱです。
ナカダ文化Ⅱは、ゲリザという場所に栄えたそうです。
ゲリザは、ナカダ文化Ⅰのエルアムラよりも南に位置する、エスナとエドフの間です。
ナカダ文化Ⅱゲリザの特徴は、金属を焼く窯が円形から正方形に変化したことだといいます。
また、ナカダ文化Ⅱになると、社会の階層が生まれてきたそうです。
さらに、農業の基盤も確立したんだとか。
興味深いのは、エジプト国内では採取することができないラピスラズリも使用されていたこと。
つまり、その当時からアジアとの貿易があったことを示しているといいます。
ラピスラズリ(画像はこちらより)
ナカダ文化Ⅱでは、管理者なども現れ、のちの王国形成の元は、ここで生まれたのかもしれないということです。
そして、ナカダ文化Ⅲです。
ナカダ文化Ⅲの特徴は、死者、特に上流階級のために準備する習慣が生まれたことだそうです。
墓の部屋は、2つに分かれ、死者と一緒に食べ物や飲み物、いくつかの家具も置かれていたんだとか。
ナカダ文化Ⅲの墓(画像はこちらより)
先王朝時代の文化は、こうして王朝時代へと引き継がれていったのですね。
次回は、第1王朝時代のナルメル王のパレットの解釈についてです。