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ピラミッドとスフィンクス
今回は、古代エジプトシリーズ。
ピラミッドやスフィンクス、ツタンカーメンにミイラや神殿など、数々の世界遺産で有名な古代エジプト文明。
ハイライトは、王朝時代ですが、その起源は、紀元前7050年前まで遡る新石器時代だといいます。
(古代エジプト文明の起源については、以前の記事で紹介しています)
さて、前回の記事で、先王朝時代の話が終わり、今回からは、いよいよ王朝時代に入っていきます。
まずは、 第1王朝時代。
と言いたいところですが、実は第0王朝もあるんだとか!
今回は、第0王朝時代の謎についてです。
スコルピオン2世(画像:Wikimediaより)
この記事をご覧いただいている皆さんの中には、古代エジプトの歴史に詳しい方も多いと思います。
特に、王朝時代は有名ですよね。
大きく分けると、第1王朝~第30王朝まである王朝時代。
その中でも、さらに細かく分けることができるほど、王朝時代は長〜い歴史がありますね。
今まで、知られてきたのは、先王朝時代の後に、第1王朝が始まるという歴史。
ですが、実は、第0王朝期があるそう!
エジプト王朝時代は、第1王朝~30王朝までではなく、第0王朝から第30王朝までなんですって!
さて、第0王朝とは、どういうことかというと。
先王朝時代の上エジプト・ナカダ文化が衰退した後
すぐ第1王朝が始まったのではなく、少しの期間があったそうです。
それが第0王朝にあたるということです。
では、どうやって先王朝時代と第0王朝とを区分するかというと。
それは、文字を読み取れるかどうかだそう。
読める文字が出てきた時代を第0王朝とするそうです。
先王朝時代にも落書きのようなものはあったそうですが、それは読み取ることができない文字なんだそう。
文字を読み取れるようになった時代からが、王朝時代の始まりということになるそうです。
面白いですよね!
さて、第0王朝の時代には、エジプト全体は、まだ統一されていませんでした。
第0王朝の王たちは、それぞれの地域を支配していたそうです。
大きく分けて、北と南。
北エジプトには、13の王がいました。
そして、南にも、同じく13の王がいたんだとか。
(エジプシャン夫作)
彼らの遺跡は、そんなに残っていないそう。
なので、残念ながら、彼らについては、パレルモ石に書かれた名前しかわかっていないんだとか。
パレルモ石とは、Royal Annalsとして知られる石碑で、7つの現存する断片のうちの1つです。
パレルモ石(画像:Wikimediaより)
この石碑には、第1王朝から第5王朝初期までのエジプト王の一覧と、その治世下で起こった年ごとの重大事件が記されているといいます。
この石碑は、第5王朝期に作られたものであると推測されているそう。
ちなみに、このパレルモ石という名前は、イタリアのパレルモにある博物館に収蔵されていることから名前が付けられたんだとか。
第0王朝の王たちについては、不明なことが多い中、有名なのは、スコルピオン2世。
画像を見て、皆さん何か気づきましたか?
そうですね、彼の顔の前には、サソリがいますね。
古代エジプトの王様には、それぞれ代表としている神がいました。
例えば、有名なのは、ラメセス2世ですが、最初のラーはラー神を指しています。
このサソリもセルケト女神を指しているんだとか。
セルケト女神(画像:Wikimediaより)
ちなみに、彼の名は、スコルピオン2世となっていますが、本当の読み方は、不明なままだそうです。
第1王朝(紀元前3200年頃)ナルメル王によって、エジプト全土が統一される前に、上エジプトの最後の王として統治した王でもあります。
スコルピオン2世のメイスヘッド(画像:Wikimediaより)
この石碑は、スコルピオン王の儀式用のメイスヘッドです。
このメイスヘッドは、古代エジプトのエリートのシンボルだったそう。
初期の象形文字がここに刻まれているんだとか。
以上、今回は第0王朝についてでした!