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ピラミッドとスフィンクス
今回は、古代エジプトシリーズ。
今回は、「ピラミッドの時代」と言われる第3王朝時代。
多くの人々が、第3王朝時代の初代王は、ジェセル王だと思っているのではないでしょうか?
第3王朝時代は、王朝時代の中でも”古王国時代”と言われる時代の最初の王朝なんだそう。
古王時代というのは、ピラミッドを作り始めた時代であるため「ピラミッドの時代」と言われるのだとか。
そんな古王国時代は、第3王朝~第6王朝まであるといいます。
さて、考古学者が、古代エジプトの歴史を語る際に、古代の遺物を参考にするわけですが
実は、今回お話する、第3王朝時代初代の王というのは、専門家の間でも2説に分かれるんだとか。
なぜなら、古代エジプト人が残した遺跡に2通りの証拠があるんだそう。
では、その2つの説を見ていきましょう。
1つ目の説としては、「初代王は、サネケトである」という説です。
1つ目の説の証拠として、古代エジプトの王の名を記したパピルス文書というものがあるそう。
そのパピルスのことを、トリノ王名表というそうです。
トリノ王名表
(画像:Wikimediaより)
古代エジプト第19王朝・ラムセス2世の治世(紀元前13世紀)に制作されたと考えられているんだとか。
これによると、初代王は、サネケトと書かれているようです。
そして、次の王がジェセル王とあるんだとか。
また、もう一つの証拠として、石碑が残っています。
その石碑は、アビドス王名表といい、セティ1世の神殿で発見されたそう。
ここにも、パピルス文書同様、初代王はサネケトであり、次の王がジェセル王と彫られているといいます。
アビドス王名表
(画像:Wikimediaより)
次に、2つ目の説、「初代王はジェセルである」という説についてです。
この説が描かれているものとして、サッカラ王名表という石碑があるんだとか。
この石碑には、初代王はジェセル王であると彫られているそうです。
そして、サネケトについては、何も書かれていないんだそう。
このような遺物が実際に残っているからこそ、専門家の間でも意見が分かれているのですね。
初代王は、サネケト王だと主張する学者もいれば、初代王は、ジェセル王であると主張する学者もいて、どちらの説が正しいかは、現在でも明確にはなっていないのだそう。
サッカラ王名表
(画像:Wikimediaより)
ここで、サネケトについて、わかっていることを見ていきましょう。
第2王朝時代、最後の王であったカセケムイの死後、カセケムイの娘であり、王位継承者でもあった
ニマアトハピに迎えられ、王に即位したのがサネケト王とされているんだとか。
母系社会の古代エジプトにおいて、王位継承権を持つ女性との婚姻は、王位の正当性を保証するものだったそう。
サネケトの統治は18年間にも及んだそうですが
その統治について示す史料は、残念ながら、ほとんど発見されていないといいます。
現在、発見されている史料に、シナイ半島で発見された砂岩レリーフがあります。
砂岩レリーフ
(画像:Wikimediaより)
レリーフには、敵対者を攻撃する様子が描かれ、セレクからサネケトという王名を読み取ることができるそう。
その王の頭部には、下エジプト(エジプト北部)の王冠があることから、下エジプトの反乱から始まった
第2王朝末期の紛争の終結から、領土を維持していることがうかがえるそう。
シナイ山(画像:Wikimediaより)
彼の時代からシナイ半島の鉱物資源の採掘が盛んに行われるようになったようです。
なかでもトルコ石や銅などの資源は、エジプトに富をもたらし、ピラミッドなどの巨大建築物の建設を助けたとされているんだとか。
サネケトの墓は、南エジプト(当時の上エジプト)のベイトカラフという場所にあり、大きなマスタバ墓であると、長い間考えられてきたんだそう。
一部の学者は、このマスタバを王墓ではなく、高官、王子、または女王の埋葬と見なしているといいますが
それでも初代王はサネケト説を支持し続けている専門家もいるんだそう。
マスタバでは、身長1.87 mを超える男性の骨格遺体が見つかったんだとか。
この身長は、先史時代以降のエジプト人の平均1.67 mよりもかなり高かったのです。
彼の頭蓋骨指数は異常に広く、彼の長骨の比率は、他のほとんどの古代エジプト人と同様に、熱帯に適応していたといいます。
マスタバで見つかった頭蓋骨
(画像:Wikimediaより)
2017年、チューリッヒ大学進化医学研究所の古病理学者Francesco M. Galassiと
エジプト学者Michael E. Habichtは、国際的な研究者チームをつくり、検証しました。
その結果、サネケトは明らかに世界で最も古い長身者であるという結論をだしているんだそう。
ちなみに、サネケトの墓は、ジョセル王のピラミッド西側にある未完成の構造物という意見もあるようです。
ジェセル王
(画像:Wikimediaより)
次に、ジェセルについてわかっていることを見ていきましょう。
彼の出生については諸説あるようです。
有力なのが、先代サネケトの弟説や、サネケトとニマアトハピ(先々代カセケムイの娘)との子供説。
しかし、ジェセルの別名ネチェリケトとは「神の肉体」を意味し、ジェセルは「聖なる」という意味の接頭語であることもあり、彼の死後、王位継承者により神聖性がアピールされている事を考えると王サネケトの弟説が信憑性を帯びて来るということが言えるようです。
なお、ジェセルは即位時の名称ではなく、階段ピラミッドなどにつけられた名はいずれもネチェリケトでした。
最初にジェセルという名が発見されたのは、彼の階段ピラミッドでしたが
実際には、そのジェセルという名は、新王国時代に入ってから書かれたものだったようです。
両者が同一人物だと確認されたのは、アスワンのセヘル島の碑文であり、第3王朝時代の日付のある部分にジェセルの名が刻まれているといいます。
セヘル島の碑文
(画像:Wikimediaより)
ジェセルの時代、エジプトはシナイ半島の鉱物資源によって得た富を用いて勢力拡大に乗り出し、南方のアスワン付近まで進出したと言われているそう。
ジェセルは、トート神の神官であった、イムホテプを宰相として登用したとされています。
ナイル川の渇水によりエジプトが飢饉となった時、ジェセルがイムホテプに相談したところ、彼は
「ナイル川水源であるクヌムの神殿に土地を寄進すれば再びナイル川は氾濫するであろう」
と答えたといいます。
そして、ジェセルは、皆さんご存知の通り、史上初のピラミッドとも言われる「階段ピラミッド」をサッカラに建立させた王ですね。
階段ピラミッド
ここからは、そのジェセル王の階段ピラミッドについて見ていきましょう。
エジプトで最初に建てられたピラミッドは、第3王朝の王ジェセル(ネチェリケト)の階段ピラミッドです。
これは、あらゆる点において革命とも言えるそう。
ピラミッドという、それまでに存在しない全く新しい建築様式であり、ピラミッド時代の幕開けとなります。
エジプト史上初の総石造建物であり、大山的な大型石造建築の始まりでもあります。
この革命の立役者が、イムホテプだといいます。
ジェセル王の宰相であった彼は、建築、神学、医学天文学などあらゆる分野に造詣が深く、後に神格化されたほどの人物なんだとか。
右端がイムホテプ
(画像:Wikimediaより)
彼なしにはピラミッドは誕生しなかったとも言われています。
イムホテプは、太陽神の総本山であるヘリオポリスの神官でもあり、そのため、太陽に向かって昇っていくようなピラミッドの形状を発案したとも言われているそうです。
ジェセル王の階段ピラミッドは、サッカラ砂漠台地のほぼ中央に位置するといいます。
コンプレックス(複合体)をなし、周壁の中に、ピラミッド本体と様々な施設が内包されるピラミッド。
そのほぼ中央に配置された階段ピラミッドは、名前の通り、傾斜面が6段の階段状に築かれているといいます。
(画像:Wikimediaより)
ピラミッドの南側は広い中庭となっており、ここで、セド祭の儀礼を執り行ったとされているんだとか。
周壁内の南隅には「南墓」とよばれる謎の地下構造物があり、ピラミッドはないが、巨大な竪坑が地下に向かって垂直に伸び、その底部に赤色花岡岩の部屋があるそう。
その周りにはギャラリーが走り、青色タイル装飾のレリーフも存在します。
つまり「南墓」は、階段ピラミッドの地下と同じ要素をもっているというのです。
その目的は、下エジプトのサッカラに対応する上エジプトの象徴とされ、「上下2国の支配者」たる王がここに表現された、と考えられるようです。
石柱
ジェセル王のピラミッド・コンプレックスは、その全てを石灰岩で築いた最初の石造建造物ですが
その意匠は、それまでの建造物が建材としていた葦や木などの植物をモチーフにしているんだとか。
例えば石柱には、東ねた葦が表現されています。
つまり、これまでの伝統を受け継ぎながら、そこに永遠性を求めたと言えるそう。
それにしても、これほど大規模な石造建築を可能にするには、石材加工や建築技術の飛躍的向上のみならず、建材調達や労働者を組織的に統制しなければならないことから
そこには、ジェセル王をトップとした強力な王権国家の誕生が見て取れますね。
以上、今回は、第3王朝時代についてでした!