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ピラミッドとスフィンクス
今回は、古代エジプトシリーズ。
第3王朝時代の「埋もれたピラミッド」と自殺した発掘者の謎についてです。
突然ですが、埋もれたピラミッドのことをご存知ですか?
当時、エジプトの大統領であった、ナセル大統領が、この埋もれたピラミッドを訪ねた後、発掘者が謎の自殺を遂げたのだそう。
今回は、その真相について紹介します。
(画像:こちらより)
「セケムケト王のピラミッド」「未完成のピラミッド」としても知られている、このピラミッド。
ここでは、「埋もれたピラミッド」と呼んでいきますね。
古代エジプトの第3王朝といえば、史上初の階段ピラミッドが有名ですね。
階段ピラミッドについては、以前の記事に書いていますので、是非ご覧くださいね。
ちなみに、考古学者は、第3王朝時代がエジプトの初期王朝時代からピラミッドの時代への移行において重要な役割を果たしたと考えているそう。
「埋もれたピラミッド」は、古代エジプト第3王朝2番目の王、セケムケトによって作られたピラミッドです。
このセケムケト王は、有名な階段ピラミッドを作ったジェセル王の後継者。
埋もれたピラミッドは、もともとジェセル王の階段ピラミッドをモデルにし、数百メートル南西に造られたといいます。
なんと、ジョセル王の階段ピラミッドを超えるように設計されていたんだとか。
ほとんど地面より上にあるため、”埋もれたピラミッド”という名前が付けらたことも議論の余地があるようですが…。
このピラミッドは、支配者として約6年の即位で終わったセケムケト王の短い統治により、不完全なまま終わったと考えられているそうです。
埋もれたピラミッドが注目されるようになったのは、1954年のこと。
自殺したエジプト人学者が、当時、近くのウナス王の複合体を発掘している際に、砂漠の奇妙な長方形の形状に気づいたのが始まりといいます。
自殺したエジプト人学者の話、気になりますよね?
(画像:こちらより)
彼の名前は、ザカリア・ゴネイム。
サッカラとその周辺での発掘で知られるエジプト考古学者でした。
彼はセケムケト王の階段ピラミッドを発見したことで、よく知られています。
第二次世界大戦前、ゴネイムはサッカラでウナス王の遺跡で発掘していたといいます。
彼はルクソールで戦争時代を過ごした後、サッカラに戻り、ジョセルの階段ピラミッドの発掘でアメリカ人発掘者のラウアーと密接な関係になり、セケムケト王の階段ピラミッドにも取り組んだのだそう。
この自殺したエジプト人学者ゴネイムの調査では、3つの部分からなるレンガの壁が最初に発見され、その底まで掘り下げると、高さが5.2 m、厚さが18 mであることがわかりました。
(画像:こちらより)
彼は後に、偽物のドアとニッチがたくさんあることを発見しました。
偽物のドアは、実際のドアのようには機能しない、ドアの芸術的な表現です。
壁に彫ったり、壁に塗ったりされていたといいます。
それらは古代エジプトの墓に共通する建築要素ですが、後に様々な墓でも発見され、古代ローマ時代にも使用されていたそう。
(画像:こちらより)
古代エジプト人は、偽物のドアが生と死の世界の境界であり、そこから神や死者の魂が出入りすることができると信じていたんだそう。
(画像:こちらより)
ピラミッド自体は、複合体の中心にあり、115 mの長さで、階段は1つしかなく、未完成でした。
発掘中、自殺したエジプト人学者は、北側への下降通路を発見し、レンガと石積みで閉ざされた空間に至りました。
この空間の発掘中に、動物の骨、パピルス、第3王朝の土器など、多くの物が発見されたといいます。
1954年5月31日、封鎖された壁が破られたとき、未完成で装飾のない埋葬室が発見されました。
その中に、切り出したアラバスターでできた棺が置かれているのを発見したのです。
(画像:こちらより)
アラバスターの棺は、損傷しておらず、葬式の花輪が棺の上に横たわっていたので、彼は無傷の埋葬を見つけたと思ったようです。
彼は、当時の大統領、ナーセル大統領を、5000年前の財宝が入っていると考えられていた棺の開管式に招待しました。
多大なメディアの注目が集まり、州の高官、ジャーナリスト、記者、映画チームも開館式に集まりました。
1954年6月26日、ようやく棺の蓋が開くと、なんと、中は空っぽでした。
(画像:こちらより)
ある記事は、「彼らは3年間掘り進んだのに、何も見つけていない」と報じたといいます。
その発見は、エジプト学にとって重要なものでしたが、結果的には失望を生んだのでした。
しかし彼は、何も発見しなかった訳ではありません。
彼は、棺の周辺から、22個の金のブレスレット、化粧ケース、ビーズ、セケムケトの名前が刻まれた壺などを発見しました。
(画像:こちらより)
この後、有名になった彼は、アメリカのレクチャーツアーに行きました。
この作品をさらに宣伝するため、レナードコットレルの助けを借り、「埋もれたピラミッド」を執筆。
この本は人気を博し、いくつかの言語に翻訳されました。
しかし、有名になった彼は、嫌がらせの問題を抱えていたといいます。
いつの時代にも、悪者がいますよね。
それは、エジプトでセト神(悪者)の仲間と言われるそう。
セト神(画像:こちらより)
その人たちが彼を妬み、倉庫にあった財宝を隠したといいます。
メディアは、彼が財宝を盗んだと放送しました。
明確な証拠はなく、非難と中傷だけが残りました。
彼は繰り返し警察に尋問されたのです。
大変ショックを受けたザカリア・ゴネムは、カジノでお酒を飲み過ぎ、ナイル川に自ら飛び込み自殺したとされています。
(画像:こちらより)
彼の友人のラウアーは、不足しているアイテムを探すことで彼を助けようとしました。
1963年、行方不明のミイラを見つけたがっていたゴネイムの願望を引き継ぎ、友人のラウアーによって発掘が再開されました。
ラウアーは、南側の下部分に破壊された墓を見つけましたが、それはすでにトレジャーハンターに略奪された後のことだったといいます。
しかし、彼は、正体不明の2歳の子供と金箔の破片が残っている棺を見つけたのです。
その後、ゴネイムを妬んでいた悪者たちが隠した財宝は、発見され、自殺したゴネムは無実だったことが明らかになりましたが、それはすでに彼が永遠の眠りについた後のことだったといいます。
以上、今回は「埋もれたピラミッド」と自殺した発掘者の謎についてでした!
【参考文献】
http://gizapyramids.org/pdf_library/smith_old_kingdom.pdf
https://www.louvre.fr/en/oeuvre-notices/false-door-stele-sheshi