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ピラミッドとスフィンクス
今回は、ハトシェプスト女王葬祭殿について。
古代エジプト新王国時代に都が置かれたテーベ、現在のルクソールは、今もなおエジプトで最も史跡が多く残る街です。
王家の谷やカルナック神殿など、名所がいっぱいのルクソールですが、今回は「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産にも登録されている「ハトシェプスト女王葬祭殿」のお話です。
(画像:Wikimediaより)
紀元前1458年に亡くなった、第18王朝のファラオ・ハトシェプスト女王のために造られたこの葬祭殿。
ルクソールのナイル川西岸、王家の谷近くの崖の下に位置します。
右側に見える崖の反対側が王家の谷
この葬祭殿は、アメン神とハトシェプスト女王に捧げられ、手前には、メンチュヘテプ2世の王墓があります。
あわせて、デル・エル・バハリと呼ばれ、アラビア語では、「北の修道院」を意味するそう。
このように呼ばれるのは、のちにコプト正教会の教会として使われていたためといいます。
このハトシェプスト葬祭殿は、古代エジプトの史跡の中でも、比類のない記念碑の1つとされているそう。
ハトシェプスト女王は、歴史的に確認された二番目の女性ファラオでした。
紀元前1478年にエジプトの王位に就くと、血統、教育、宗教に対する理解から、彼女の権力に注目が集まりました。
彼女は、エジプト学者の間で、最も成功したファラオの1人と見なされているんだとか。
ハトシェプスト女王像の頭部
(画像:Wikimediaより)
他の女性ファラオと比べ、ハトシェプストの治世は、はるかに長く、繁栄していました。
統治の初期に、戦争し勝利を納めましたが、それ以外は、平和な時代を長く保ったと考えられているようです。
ヒクソスによる外国占領中に失われた国際貿易関係を再建し、エジプトに大きな富をもたらしたといいます。
そんな彼女の、20年以上にわたる支配下で、最も有名なのは、ハトシェプスト女王葬祭殿の建設だといいます。
神殿の主軸は、約116°の方位に設定されており、毎年12月21日もしくは22日、冬至の日の出に合わせられているといいます。
神殿の建設は、ハトシェプスト女王の首相である王室の建築家セネムートが監督したといいます。
隣接するメンチュヘテプ2世の王墓がモデルとされたようですが、多くの点で2つの構造は異なるといいます。
ハトシェプスト女王の神殿には、長い列柱テラスが採用されています。
かつては、フランキンセンスの木など、外来植物のある庭園に囲まれていたとされ、長いスロープで結ばれています。
長いスロープと列柱テラス
神殿には、その他、チャペルや聖域も組み込まれています。
神殿内のレリーフには、女性ファラオの神聖な誕生の物語が語られています。
色彩が鮮やかに残っているところもあります。
神殿には、かつて2つのオシリスの彫刻があり、スフィンクスアベニューや様々な姿勢の女王の彫刻が数多く存在していたんだとか。
それらは、その後、盗まれたものもあれば、肖像画の多くは、ハトシェプストの死後、継母トトメス3世により、壁画や碑文が削られるなど、一部破壊を受けたといいます。
(画像:Wikimediaより)
そんなハトシェプスト葬祭殿は、1997年、過激派テロ組織によって、無差別殺傷テロ事件の事件現場となった、悲しい過去も。
日本人10名を含む、多くの外国人観光客が標的になりました。
その後、エジプト政府は、更なる掃討作戦を実行し、大規模なテロ事件の発生は、この事件以降、沈静化したとされています。
2020年2月に訪れた際は、警察や軍人の警備が行き届いており、治安も落ち着いている様子で、観光客もたくさんいました。
ちなみに、夏の日中は40°を超えることもあり、日陰もないため、とても暑く、熱中症に要注意。
浴衣での見学は、オススメしません。笑
オススメの見学時間帯は、夏なら早朝(5時頃〜)、冬なら午前中が良いと思います。
(昼過ぎは、冬でも暑くなりますよ!)
以上、ハトシェプスト女王葬祭殿についてでした。
他にも、ハトシェプスト女王葬祭殿についての情報があれば、ぜひ教えてくださいね!