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このブログでは、エジプトのポジティブな情報をお伝えしています。
ピラミッドとスフィンクス
今回は、ラムセス3世葬祭殿【メディネト・ハブ】について。
古代エジプト新王国時代には、都「テーベ」として栄えた、現在のルクソール。
今もなお、エジプトで最も史跡が残る街として人気です。
「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産にも登録されている、「メディネト・ハブ」のお話です。
近くに位置する、メムノンの巨像についても紹介します。
中庭からファサードに向かって競争する息子たち
ルクソールのナイル川西岸は、「死者のまち」と呼ばれ、歴代のファラオや家族たちの墓、死後に王を祀る葬祭殿などがあります。
その葬祭殿の中でも、非常に保存状態が良いものが「メディネト・ハブ」と呼ばれるラムセス3世の葬祭殿。
ラムセス3世は、紀元前1186年〜1154年に在位したファラオです。
ラムセス2世に憧れを抱き、葬祭殿もラムセス2世葬祭殿「ラムセウム」を真似て作ったといわれています。
正統派のデザインも、ラムセス2世の葬祭殿「ラムセウム」によく似ています。
残念ながら、ラムセウムは、現在ほとんど残っていませんが、このメディネト・ハブは、古代エジプト建造物を知るための大変貴重な遺跡でもあるんだとか。
ちなみに、ラムセス3世は、ラムセス2世から100年ほど後の時代の王で、王朝も異なりますが
”海の民”が侵攻してきた時代の統治者として、ヒッタイトを破ったラムセス2世を非常に尊敬していたそう。
まず、前庭を抜けて、進んでいくと、第1塔門が。
第1塔門
向かって左側には、”海の民”を破ったラメセス3世の戦いのレリーフが彫られています。
王が、敵である”海の民”の髪を掴んでいるシーンです。
ラメセス2世を尊敬していた、というだけあって、図柄も似ていますね。
第1塔門を抜けると、中庭があり、そこを取り囲むように列柱が。
列柱にも、壁面にも、たくさんのレリーフが彫られています。
レリーフは、戦争の様子を描いているものが多く、”海の民”との戦闘シーンなども見られます。
ちなみに、ここメディネト・ハブのレリーフの特徴は、他の神殿などに比べて彫りが深いこと。
エジプトでは、歴代王の神殿を自分のものとして改築し、利用することが多かったため、それを阻止するためなんだとか。
天井の壁画
他にも、列柱室など、見どころはまだあるのですが、わたしが一番印象に残ったのは、色彩。
青や赤など、色鮮やかに描かれているのが、とても印象的でした。
保存状態がよいため、天井の壁画や、装飾壁、柱のレリーフなど、とても綺麗に残っているんです。
これだけ鮮やかに色彩が残っている遺跡は、他にあまりないのではないでしょうか。
メジャーな遺跡に比べると、知名度は劣るため、期待せずに訪れ、驚く観光客もいるんだとか!
団体旅行では、スルーされがちなため、比較的観光客が少なく、見学しやすいのも良いところ。
また、メムノンの巨像からも近いため、セットで観光するのがオススメです。
ここでメムノンの巨像についても、少し紹介。
この巨像の高さは、約18m。
呼び名は、ギリシアの伝説、トロイ戦争に登場するエチオピアの王「メムノーン」に由来するそう。
もともとは、背後にアメンへテプ3世が建てた巨大な葬祭殿が控えており、その入口部分にあったものなんだとか。
ちなみに、葬祭殿は、第19王朝のファラオ・メルエンプタハが自身の葬祭殿の石材調達のため、破壊したそうですが、現在でも、ドイツの調査隊によりアメンへテプ3世葬祭殿の発掘作業は続けられているといいます。
以上、ラムセス3世が造った葬祭殿「メディネト・ハブ」と、メムノンの巨像についてでした。
渡埃の際は、ぜひ訪れてみてくださいね!