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このブログでは、エジプトのポジティブな情報をお伝えしています。
ピラミッドとスフィンクス
今回は、古代エジプトシリーズ。
今回は、黄金時代と言われる、第4王朝時時代に作られたピラミッドの話です。
今までピラミッドについて、たくさんの論文や映画、ドキュメンタリーなどが、放送されたり出版されたりしています。
ピラミッドは、古代エジプト人が作ったのか?宇宙人が作ったのか?奴隷に作られたのか?
上から作られたのか、したから作られたのか?
様々なメディアで様々な憶測が語られています。
しかし、今回は、このような話ではありません!
今回お話するのは、世界七不思議の一つともされる、ギザの大ピラミッドを建造させた人物についてです。
ギザの三大ピラミッド
ちなみに、前回、第4王朝の創始者スネフェル王が作ったメイドゥムピラミッド、屈折ピラミッド、赤いピラミッドについて、お話しました。
まだご覧になっていない方は、そちらを見ていただいてから、今回の記事を見ていただくのがおすすめ!
こちら ⇒ 第4王朝時代クフ王の父スネフェル王は、なぜピラミッドをたくさん作ったの!?
前回の記事でも伝えたように、第4王朝の創始者スネフェル王は、賢く公正な支配者であったとされ、彼の統治時代は、後に黄金時代と見なされています。
ピラミッドの建設が一気に広まったように、彼の時代がエジプトの歴史の分岐点となったそう。
スネフェル王の後に作られたピラミッドと言えば、有名なギザの3大ピラミッドがありますね。
その中でも一番大きい、138mもの高さを誇るピラミッドを作ったのが、クフ王です。
クフは、古王国4王朝の第2代王で、父はスネフェル王であり、彼から王位を継承しました。
クフ王の本当の名前は、クヌム・クフといいます。
クヌム・クフというのは、「我は守護されている」という意味で、文字通り、彼の名前は大地の神クヌムに捧げられているんだとか。
このことは当時のクヌム神の人気と宗教的重要性の増大を示すものではないかと考えられています。
残念なことに、彼の治世の記録は、あまり多く残されてはいないようです。
一番不思議なのは、通常、古代エジプトの王の像は、巨大ですよね。
例えば、アブ・シンベル神殿のラムセス2世の巨像は、高さ2メートル!
アブ・シンベル大神殿
では、この大ピラミッを建設した王の像は、どれだけ巨大なの!?と思う方、たくさんいるかと思います。
実は、クフの姿を確認することができる、完全な状態で残っている肖像は、1903年
アビュドスにある後世の神殿遺跡から発見された、なんと3インチ(7.62㎝)の大きさの象牙製の像だけなんだとか!
クフ王の肖像(画像:Wikimediaより)
とっても小さいですよね!
他にも、レリーフと彫像が発見されていますが、断片しか見つかっておらず、彼が建てた多くの建造物は失われています。
クフについて知られているものは、ギザにある彼のネクロポリスから発見された碑文と、後世に作られた文学作品から得られる情報のみなんだとか。
(画像:Wikimediaより)
クフに言及する文書の大半は、紀元前1千年後半に、エジプト人やギリシア人が書いたものが知られています。
古代エジプトの王は、時代による変異はあるものの、ホルス名、二女神名、誕生名など、複数の王名を使用していたのだとか。
「クフ」もまた複数の名前を持っていて
公式に二つの誕生名(クヌム・クフ、またはクフ)を使用していました。
完全な王名:クヌム・クフは、クフのクヌム神に対する宗教的忠誠を明確に表しています。
短縮された王名:クフは、なぜ使われたのかは、残念ながらわかっていないようですが、一般的に広く知られているのは、誕生名である「クフ」の名です。
この名前はカルトゥーシュと呼ばれる外枠に囲まれて表記されていました。
この時代に導入されたいくつかの王名、宗教的称号は、エジプトの王達が、王名を特定の神に関連づけることで自身の神聖な出自と地位を強調する事を望んでいたことを示すものなんだとか。
クフは自身を創造と成長を司る大地の神「クヌム」から全権を与えられた者と見なしていたようです。
それ故に、彼の王名はクヌム神と結びつけられたと考えられているそう。
クヌム神(画像:Wikimediaより)
また、クフのホルス名はメジェドゥ(Mejedw)です。
ホルス名は、王がホルス神の化身であることを表す名前であり、発掘された同時代の記録では、この名前が用いられているんだとか。
ピラミッドについての神秘的な物語を伝えるアラブの歴史家達は、ピラミッドの建設者ス―リード(Saurid)の物語を残していますが、この頃にはピラミッドの建設の歴史は、神秘と驚異の中に埋もれており、古代の王クフの記録は失われたままなんだそう。
クフのピラミッドの高さは、146,6m(現在の高さ138,8m)、底辺の長さは約230m。
クフがこの地をピラミッド建設の地として選んだのは、この地が岩盤となっていて地盤が安定していて
また材料である石灰岩がこの近辺で採掘できたため、建設に有利だったことなどが挙げられています。
本来の入り口であった場所は、現在は封鎖されています。
本来の入口(画像:Wikimediaより)
現在は、9世紀にアッバース朝の第7代カリフであるマアムーンが南側に空けた盗掘用の穴から内部へと入るようになっています。
内部は、1日300人限定で観覧することができます。
内部はかなり精巧に作られており、傾斜した大回廊を通ってピラミッド中央部に位置する王の玄室のほか
大回廊入口から水平通路を通ってたどり着く王妃の間や、ピラミッドの地下に存在する地下の間などが存在します。
また玄室の上にはピラミッドの重量を軽減するための、いわゆる重力軽減の間とよばれる空間が存在します。
玄室
クフ王のピラミッドの東側には、3基の王妃たちの小さなピラミッドが南北に並んでいます。
その東側は多数のマスタバ墓が立ち並んでおり、貴族たちが埋葬されているんだとか。
マスタバ墓
(画像:Wikimediaより)
このマスタバ群はピラミッドの西側にも存在します。
また、ピラミッドの南側には、1954年、長さが43m以上ある木製の「太陽の船(クフ王の船)(Khufu ship)」が、分解された状態で発掘されました。
発見当時の太陽の船
(画像:Wikimediaより)
太陽の船を展示している太陽の船博物館もあります。
紀元前2世紀にビザンチウムのフィロンによって選ばれた世界の七不思議のうちの一つとされるクフ王ピラミッド。
その中で唯一、現存する建造物として、今もなお、世界中の人々を魅了しているのですね。
ということで、今回は、大ピラミッドを作ったクフ王とピラミッドの話でした!