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このブログでは、エジプトのポジティブな情報をお伝えしています。
カルナック神殿
今回は、古代エジプトシリーズ。
ピラミッドと言えば、ギザの3大ピラミッドの一つ、クフ王のピラミッドが有名ですね。
それについては、前回記事で説明していますので、詳しく知りたい方は、↓をどうぞ!
第4王朝・ギザの大ピラミッドを建てたクフ王像は、たったの7センチ!?
さて、クフ王のピラミッドに続くピラミッドと言えば、カフラー王のピラミッドだと思っている方が多いのではないでしょうか。
(わたしはそう思っていました…笑)
実は、違うんですって!
カフラー王のピラミッド
クフ王が亡くなった後、次にピラミッドを建てたのは、実はカフラー王ではありませんでした。
クフ王の息子・ジェドエフラーが王位を継承し、直接の後継者となり、ピラミッドを建てています。
ジェドエフラー王(画像:Wikimediaより)
ジェドエフラーと言う名は「太陽神ラーのごとく永遠なる者」という意味なんだとか。
『永遠なる者』(画像:Wikimediaより)
彼は、ギザ台地ではなく、そこから、8キロほど離れた、アブ・ロワシュという高台にピラミッドを構造しました。
では、なぜ、彼は、父・クフ王の近くにピラミッドを作らなかったのでしょうか!?
理由は、太陽神の信仰にあると言われています。
(画像:Wikimediaより)
太陽神の総本山であるヘリオポリスの真西にあたる、アブ・ロワシュの高台にピラミッド を構造したかったから、と考えられているようです。
そして、彼は、カルトゥーシュ名を太陽神ラーに関連付けた、初めての王となりました。
トリノ王名表によると、彼は、8年間の在位期間があったと書かれています。
ですが、ジェドエフラーの在位した最後の年次は、「11回牛を数えた年」であるという記録も残っています。
『11回牛を数えた年』(画像:Wikimediaより)
つまり、11年間の在位期間があったということ。
この「11回牛を数えた年」と言う匿名の年次は、クフの南の船着き場を覆う巨大な屋根石のブロックの一つに書かれているのが、エジプト人作業員によって、発見されたそう。
そして、ジェドフラー王の次の王が、カフラー王です。
カフラー王(画像:Wikimediaより)
カフラー王は、再びギザ台地に戻って、ピラミッドを建てました。
ギザの三大ピラミッドで、人の目からは一番高く見えるピラミッドが、カフラー王のものですね。
彼のピラミッドは、クフ王のものに比べると、若干、小ぶり。
ですが、10mほど高い場所に築き、傾斜角度53°10とすることで、クフ王のピラミッドをしのぐ高さを達成させたのだとか。
カフラー王のピラミッド内部は、セネフィル王ピラミッドの内部構造やクフ王ピラミッドの内部構造よりもシンプルです。
地下よりも高い場所に空間や部屋を設けることもしませんでした。
その内部へのアクセスは独特で、入り口が北面に2ヶ所あります。
一つは地上レベルに、もう1つは、地上から12mほど高いところにあります。
二つの入り口から続く通路は、最終的に合流して玄室に達成します。
石灰岩で作られた玄室には、黒色花崗岩の石棺が安置されています。
玄室に置かれた黒色花崗岩の石棺
(画像:Wikimediaより)
カフラー王のピラミッド の化粧石は、残念ながら、その多くが奪われていますが、頂上付近には残っています。
もともと、真っ白な石灰岩で全面が外装されていたことがわかります。
東面に備えられた葬祭殿は、激しく荒らされ、その基礎部が残るだけです。
床面の痕跡からは、多くのカフラー王の彫像が据えられたことがわかるようです。
メンカウラー王のピラミッド(右端)
最後に、カフラー王の息子として、王位を継承したメンカウラー王についてです。
メンカウラー王(画像:Wikimediaより)
彼も、ギザ台地にピラミッドを建て、ギザの3大ピラミッドの一つとして世界中の観光客を魅了しています。
先代と同様に、軸線を強く意識して、建設場所を設定したようですが、その規模は、クフ王のピラミッドの4分の1。
高さも65mと、縮小したピラミッドとなりました。
内部構造は、カフラー王と同じく、シンプル。
入り口はピラミッド北面の地上から4mほどの高さにあリます。
そこから通路を通って、ピラミッドの真下に位置する部屋にたどり着きます。
これは副室と呼ばれ、その部屋の床面と西壁に穿たれた二つの下降通路の先に玄室があります。
発見当時、玄室には玄式石製で凹凸装飾が施された優美な石棺があったのですが、蓋もなく、中は、空っぽだったそう。
残念ながら、この石棺は19世期前半に、イギリスへ運ぶ途中の船で、沈没してしまったのだとか。
今は見ることができないなんて、残念ですね…
また、メンカウラー王の名が刻まれた木棺の一部も発見されましたが、これは、末期王朝時代のものでした。
この時代に王の遺体が再埋葬されたと考られているそう。
メンカウラー王は、ピラミッドの規模を縮小したものの、そのぶん他に、労力を使っていたようです。
ピラミッドの化粧石に赤色花崗岩を用い、下層の16段を赤く飾ったのです。
花崗岩が採石できるのは、エジプトの最南・アスワンであり、ギザまで、1000kmもの距離があります。
また、花崗岩はとても硬い石材です。
その加工には、相当の労働と技術が必要だったことがわかるそう。
ピラミッドの東面には葬祭殿があります。
そこから真っ直ぐに延びる参道の先に、河岸神殿が鎮座しています。
ここで出土した有名な遺跡が、メンカウラー三体像(トリアド)。
メンカウラー三体像(トリアド)
(画像:Wikimediaより)
左足を踏み出した王の右側にハトホル女神、左側にノモスの神が並びます。
こうした三体像は複数発見されており、おそらく本来は、全てのノモス、またハトホル女神と関係が深いノモスの神を伴う三体像が、この河岸神殿に置かれていたと考えられているんだとか。
そして、3大ピラミッドのそばにある、スフィンクス。
世界中の人から「スフィンクス」と呼ばれ親しまれていますが、エジプトでは、「アブル・ホール」と呼ばれています。
実は、スフィンクスには、正式な名前が刻まれていないのだそう。
新王国時代には、「Hor-em-akhet (ホル・エム・アヘト)」と呼ばれていたのだとか。
不思議なことに、スフィンクスを作ったのは、誰か、これは、どこにも描かれていません。
スフィンクスについては、また別の記事を作りますので、今回は、ここまでに。
ということで、今回はクフ王の後継者とギザの3大ピラミッドについてでした!